踊る大捜査線やCM・朝の情報番組など、幅広く活躍する真矢みきさん。
そんな真矢みきさんは宝塚歌劇に在籍していたときからスゴかったって知っていましたか?
今回は真矢みきさんのヒストリーについて紹介していきます。
①宝塚に入団するまでの経歴・②宝塚歌劇入団後の伝説・③宝塚退団後の活躍
この3つに分けて真矢みきさんの歴史を振り返ってみましょう。
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目次
真矢みきが宝塚に入団するまでのプロフィールと昔の逸話
真矢みきさんは宝塚歌劇に入団するまでは普通の女の子でした。
そんな女の子がどんなきっかけで宝塚歌劇に憧れ、試験を受けたのでしょうか。
子供のころは父の職業柄、転勤を繰り返す実家
![](https://takarakko.com/wp-content/uploads/2019/06/3-min.jpg)
真矢みきさんは生まれは広島市西区の南観音町。
ただ父親の職業が航空業界だったこともあり、4歳からは転勤を繰り返します。
そして真矢みきさんのお母さんは宝塚のファンだったんです。
女子高の演劇部出身だったお母さんが、宝塚を勧めました。
(真矢みきという芸名を考えたのもお母さまなのですが、この話は後で詳しくお話しします。)
中学で豊中へ!中卒で宝塚歌劇を受験
転勤を暮らしていた真矢みきさんでしたが、中学生の時は大阪の豊中市へ。
豊中市立第二中学校へ在籍時に宝塚コドモアテネ(内部リンク)で日舞を習うようになります。
宝塚コドモアテネとは小学4年生から中学2年までの女子学生が声楽・バレエ・日舞を習う場所。
宝塚音楽学校で行われるので、このころから”宝塚歌劇”というものに触れるきっかけになったのではないでしょうか。
もともと大学へ行くつもりで勉強をしていた真矢みきさん。
でも宝塚歌劇への想いが強くなり、中学を卒業時に高校へは行かずに1979年に宝塚音楽学校へ入学します。
メチャクチャ余談ですが、真矢みきさんは学生の頃、お兄さんとUFOを見たことがあるんだとか。
2013年ごろの『原宿ネストカフェ』という番組でUFOを見たエピソードを話されていました。
時期的にはこのころかなと。
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真矢みきの宝塚時代の動画!男役の写真と伝説のエピソード集
1979年に宝塚音楽学校へ入学した真矢みきさんは、1981年に宝塚歌劇に入団します。
1995年に花組のトップスターになった真矢みきさんの対談までの映像やエピソードをお話しします。
真矢みきさは何期生?同期には黒木瞳や涼風真世
真矢みきさんは67期として宝塚歌劇に入団します。
実は同期がスゴイ人が多く、黒木瞳さんや涼風真世さんがいました。
そんなメンバーがいる中で、実は最初から真矢みきさんは上位の成績だったわけではありません。
宝塚音楽学校の入学試験では39人中37番。
宝塚歌劇に入団した時は21番目と言われています。
そして先ほども言ったように『真矢みき』という名前はお母さまからの提案でした。
“友七緒”や“展七緒”という芸名を考えていたらしいのですが先生から却下。
お母さんから『真っすぐ矢のように』という苗字と『美季』という名前を合わせた芸名を提案されて”真矢みき”となりました。
デビューの初舞台から花組のトップスターへ
デビューしてから一気にトップスターへ!
というスター街道を走ったわけではありませんでした。
初舞台から14年後の1995年に当時のトップスター安寿ミラさんの退団により、トップスターへ。
純名里沙さんや千ほさち(現・森ほさち)を相手役の娘として活躍されます。
入団試験などでは評価が低かった真矢みきさん。
1つずつ目の前のステップを乗り越えてのトップスターという印象を受けました。
一気にトップスターになった天海祐希さんとは、こういったキャリアは少し違うみたい。
代表作はDVDに存在しない!宝塚時代はビデオ
![宝塚歌劇団のDVDとBlu-ray](https://takarakko.com/wp-content/uploads/2019/07/20190721_115432335-min.jpg)
真矢みきさんの宝塚時代の映像を見たい
そう思ってもDVDで見るのは少し難しいです。
なぜなら1990年代なので、ビデオ(VHS)の時代だから。
ビデオがご自宅で見れるなら、真矢みきさんの宝塚時代の動画を確認できます。
DVDだと宝塚大劇場の100周年記念くらいですね。
在籍時に武道館に立つなど、かっこいいエピソードも!
真矢みきさんは宝塚時代に周囲から『革命児』と言われていました。
それは次の3つのエピソードが関係しています。
まずはメイクについて。
真矢みきさんは当時、男役のイメージにはなかった長髪や薄いメイクを取り入れたんです。
もともと目や鼻がくっきりされているので、メイクが薄くても男役がハマったのでしょう。
『これまでの常識を覆す』という点で革命児と言われました。
2つ目は写真集を発売したこと。
在籍中に篠山紀信さんが写真を撮って、写真集を出したんです。
その中にはスカートで撮影した写真もあったんですね。
男役ですから女性らしい写真はタブーとされていての撮影。
こういった点でも革命児という印象を強めました。
3つ目は武道館でライブをしたこと。
こちらも退団前に開いたリサイタルで、現役の生徒がコンサートするのは初めてだったんです。
しかもプロデュースは”つんく”さん。
観客は大劇場と違って立ちっぱなしでズルい女も披露されたんです。
このようにそれまでの常識を覆す挑戦をしてきた真矢みき。
だからこそ『革命児』と言われていたんですね。
宝塚歌劇を退団した理由もお母さま?
1995年にトップスターになった真矢みきさん。
ですがわずか3年後の1998年に退団してしまいます。
実はこの退団のキッカケもお母さまだったという記事が残っていました。
女性自身で書かれていた内容は、お母さんが宝塚ファンだったこと。
だから『一人でも多くの人がトップを味わえるように早くやめなさい』という意見を持っていたんだとか。
そういったお母さまの意見もあってか1998年『SPEAKEASY』東京公演千秋楽をもって宝塚歌劇団を退団します。
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宝塚を退団したあとの真矢みきの活躍と苦労が泣ける
トップスターになってから比較的早い時期に、惜しまれつつも宝塚歌劇を退団した真矢みきさん。
その後はテレビ番組やドラマ・映画といろんな活動をされています。
ただ雑誌やテレビなどのインタビューを見ると、順風満帆というわけではないことがわかります。
仕事が0になった時期、ビビットでのMC仕事・実母の介護など苦労を重ねています。
懐かしい名言や名場面も合わせて、振り返ってみましょう。
真矢みきは宝塚歌劇を退団後にオファーが0になった?
真矢みきさんは宝塚のトップスター。
退団後はたくさんのミュージカルやお芝居のお話しがありました。
でも真矢みきさんは『退団後2年は舞台に立たない』と決めていたんです。
そして2年間全てのオファーを断っていたら、何も仕事の依頼がこなくなりました。
しかも当時の事務所『田辺エージェンシー』からクビになってしまうんです。
断っていたんだから仕事の依頼がこなくなるのも、ある意味では当然ですよね。
なので退団後は順風満帆というわけではなく、細かい仕事やオーディションに取り組んでいました。
真矢みきは苦労のすえにドラマやCMで名言が出た
仕事なないときに友人のリクルートスーツを着てオーディションに臨んだのが『踊る大捜査線2』
『事件は会議室で起こってるんじゃない!現場で起きてるんだ!』という青島刑事(織田裕二)さんの前作の名言にかみつく役柄。
『事件は会議室で起こってるのよ』と言い放つ、気が強い警視正の役を演じました。
ここから『完璧な女性』『理想の上司』というイメージがついてCMにも抜擢。
『諦めないで』という茶のしずく石鹸のCMはメチャクチャ流行りましたよね。
事務所を移籍して芸名を改名
真矢みきは2015年にオスカープロモーションへ移籍。
さらに同じタイミングで改名をしました。
真矢みきから真矢ミキ。
ご本人のコメントでは深い意味があったわけではなく、『新しい挑戦』という意味だったようです。
ニュース番組『ビビット』の司会へ!
![](https://takarakko.com/wp-content/uploads/2019/07/009e4a1ba434bd85e40569700c6e02ae_s-min.jpg)
さらに2015年からニュース番組ビビットの司会へ抜擢。
飾らない発言をされているのが印象的でした。
例えば日大アメフトのタックルが問題になったとき。
日大指導者の監督の会見に『腹立たしい』とコメント。
『私のここにある目のクマはイラついて眠れなかったから』とおっしゃっていました。
またサムハラ神社というお守りの転売が問題になっているという話題でも怒っていましたね。
宝塚歌劇でも転売が問題になっているので、その当時と重なったのかなと勝手に推測して見ていました。
53歳で高卒認定を取る!学歴より「学びたい精神」があった
そして情報番組をこなしながら2017年にチャレンジしたのが高卒認定試験。
もともと母に宝塚を勧められるまでは大学へ行きたいと思っていた真矢みきさん。
『学び直したい』という気持ちはずっと持っていたとコメントされています。
その想いが情報番組をやって復活!
いろんな話題やニュースに触れるたびに興味が強くなって『学びたい』という気持ちが強くなった様子。
さらにいい加減な発言をしたくないから無知と向き合おうと考えて受験を宣言したようです。
塾に行き1日に6時間ほど勉強。
漫画喫茶で勉強された日もあるとインタビューで答えていました。
そして無事に試験に合格。受験した5科目ですべてで合格をしたんです。
プライベートでも自分に課題をかしてストイックに取り組む真矢みきさんって本当にすごい。
母の介護から別れの想いをブログでつづる
![介護](https://takarakko.com/wp-content/uploads/2020/02/eb539ca77a3fdbd5b64834d6f29a1b5f.jpg)
宝塚歌劇を卒業してビビットの司会をされてる間、プライベートではお母さまの介護もしていたんです。
そのときの様子をテレビ朝日『徹子の部屋』で話されていました。
最初は実家に通っていたのですが夫の西島さんから『一緒に住もう』と提案されて同居。
ビビットの出演と母の介助をこなしていたんです。
そしてお母さまは真矢みきさんを自分の妹だと思い込んだり、昔話がゴチャゴチャになるように。
そのときから真矢みきさんは認知症を疑うようになったんです。
名前を忘れられた日のことを、真矢みきさんはブログで以下のように語っています。
≪何処かの貴方へ
2018-08-20 22:05:08
今日、母が私を忘れていた。
今年で米寿を迎える母
母の夫、
私にとっての父が他界してから約14年が経つ
あの父が亡くなった夜から、
母は少しづつ悲しみを忘れたいのか、
現実逃避していった気がする
私は敢えて認知症なんて言葉は使いたくない
悲しみを忘れたかった母の気持ちがわかる気がするから
だけど
今夜は一人
ただ、どこまでも歩きたかった
泣きたいと言う衝動的な娘としての感情と
それで良いんだ
といいきかせる、大人になっている自分がいることに気づいた夜だった
母の人生
母の思うままに
あたたかい日々であってくれたらいいな
何処かで、そんな思いをしている方がいたら、
そんな事
伝えたいなと思った。
今日も一日、お疲れ様でした。
明日も笑顔で、
お互いに朝を迎えたいですね≫
お母さまとの辛い現実にも向き合う姿勢が強く美しく見えます。
ビビットで司会をされていた姿を見ているときは、プライベートでこんな大変な思いをされていたことはわかりませんでした。
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真矢みきは真正面から向き合うのが魅力!宝塚時代も退団後も同じ
今回は真矢みきさんの宝塚に入るまでのエピソード・、宝塚時代の話・退団後の活躍
この3つについてお話ししました。
共通していたのはCMでも有名になった【あきらめないこと】かなと。
宝塚入団時代は成績が低くてもコツコツと努力を続けてトップスターへ。
退団後はオファーが0になってもオーディションを受け有名女優の仲間入り。
情報番組という未知の仕事にも取組み、高卒認定なども取得。
このように真正面から取り組む姿勢がとても美しいという印象があります。
ドラマや映画を見てるだけではわからない姿がありました。